使用している楽器・機材

2015年2月23日月曜日

焼いて焼いて〜

みなさま、こにゃにゃちわん。

先週末、我がSasakama Studioでは、来たる3月8日(日)開催のボーパラ関西に出展するための準備をちまちまちまちま・・・とやっておりました。

詳しくは、Chiquewa御大のブログ

ココ

を、ご覧ください。手抜き

ぃゃぁ、作った作った。
CD焼いたのも7割方わたくしですし、焼いたCDのチェックも7割方わたくしの手によるものですし、Chiquewa御大がやったのは残りの3割と盤面印刷ぐらいですかねぇ。
チクリチクチク。

盤面印刷が済んだCDをケースにセットしてジャケットを入れ、PP袋に入れるのもわたくしのお仕事でしたので。ぅおっほん。

あまり御大をいぢめてはイケナイのでこの辺にしといてあげましょう。


ほんで、昨晩はアレです。
Sasakama Studio大阪本部から京都支部へ遥々帰ってきたワケなんですけれども、地下鉄の駅を上がるとそこは雨。

久々に少し降られました。
上着とバッグはヒーターの前で乾燥しました。やれやれ。

めっっっちゃ暖かいのでヒーターは仕事する気ナシヲ。頼むでホンマ・・・。

暖かいと逆に風邪引くこともありますので、みなさまどうぞお気を付けて。

ほんじゃまたね。

2015年2月16日月曜日

思い立ったが

やっほぃ。

昨日から畿内は少し寒さが緩みました。
みなさまのところは如何でしたか?
冬ももう少し。あと数回冷え込みそうですが、体調崩さないように、油断大敵!でござるよ。

さて。
先日、所用で大阪は難波辺りをウロウロして参りました。
で、何回か通ったこともあるところなんですが、実はお詣りした事がなかったお寺に立ち寄りました。

浄土宗・天龍山 法善寺。

1637年建立の、水掛け不動さんとして大阪で有名なお寺です。
法善寺の露店を発祥とする、「法善寺横丁」の真ん中に位置する小さなお寺ですが、太平洋戦争でお寺の伽藍と露店全てが消失、その後 露店だったところに様々な飲食店が建ち、盛り場として復活したそうです。

わたし自身も何年前だったか、旧中座の失火で法善寺横丁が火事になり、復活したのを憶えてます。確かそれも2回目だとか言ってたような。


今ではイタリアンやら飲み屋さんやら小料理屋さん、「夫婦善哉」で有名なぜんざい屋さんやら、石畳が情緒ある幅約3m、長さ約80mの路地に 約60店舗が軒を連ねております。


で。
今回は、千日前筋の方からお邪魔しました。


 
 下の写真の左側は法善寺墓地。明治維新前の昔には刑場と焼き場もあったそうです。

街中の路地にあるので、この景色。

狭い路地を進んで行くと、右手に金比羅堂が。

この横にはお初大神の祠が。神仏習合ですなぁ。




金比羅堂と言えば讃岐の地にある「こんぴらさん」と呼ばれ有名な金刀比羅宮

こちらの金比羅堂も、海運・交通の神様。
建立当時はこの辺りまで海だったのかな?また調べてみましょう。
 
洗心水で身を清めてから・・・

じゃん。
お賽銭箱の向こうにご本尊が。

こちらが水掛け不動尊こと、ご本尊、不動明王さま。またの名を西向不動明王。確かに西向いておられますね・・・。
法善寺の水掛け不動さんは、両脇に矜羯羅童子(こんがらどうじ・めっちゃ難しい漢字ですね)と制多迦童子(せいたかどうじ)を従えた三尊像なのだそうです。

法善寺HPによりますと、
【不動明王は、火焔を背にして右手に剣を取り、左手に縄を持って憤怒の姿をしておられます。
不動明王が火焔の中に住まわれるのは ”火生三昧”といって、衆生の煩悩を大智慧の火で焼きつくして、お悟りに導くことを本誓(ねがい)としておられるからです。】
と、いうことだそうで。なるほど、なるほど。

そして、
【「水を掛ける意味」
戦前には、最初、お供えの意味で、水は、生きとし生けるもの の命の元になる、大切な水を供えていただけであったが、有る女の人が、拝んで居られる時 に、お不動様に縋る思いで「水掛不動さん、願いを叶えて下さい」と水を掛けられ、 その時より水を 掛けられるようになった。
○何故掛けるかは根拠がないが、水を掛けることは、火に水と全く相容れない物に考えられるが、本来は供え物の意味で、「助けて下さいお不動さん。たのん まっせ、お不動さん」と心を込め縋り付く思いで願いを届けお供えしているのである。また、体の部分に水を掛けるのは、病気平癒・悪魔降伏や願成就・煩悩 滅尽の願いを込め縋り付く思いで水を供える意味である。(治して下さいと願い、自分の煩悩や悪い災難事を裁ち切り、願いを込め掛けるられている。)】

と、言うことだそうです。なるほど。

不動明王は身にふりかかる災厄や人心を惑わす煩悩を退散させ、迷いの無い正しい道へ導いてくださるとされています。
病気の人は、『お不動さんの』、自分の悪いところへ向かって「南無不動明王」と唱えながら水を掛け、お参りするとご利益があるそうです。

さっそく、我がSasakama Studioの代表平社員、Chiquewa御大がお詣り。
うりゃ。
ご覧ください。お詣りされる方が途切れることなく水を掛けて行かれるため、年中このように苔蒸したお姿です。

御大、何お願いしたんでしょうね。うふふ。
この後、ぱんだっちもしっかりお詣りさせて頂きました。お詣りの方が行列になっていてChiquewa御大にカメラを渡しそびれたため、写真はありません。キャフー。

こちらが西側の出入り口。西向不動明王の石碑が。

横丁の入り口に架かる看板の文字は西側が藤山寛美さん、東側は3代目桂春団治さんによるものだそうです。なにわ風情たっぷりですな。

そんなこんなで、突発・法善寺訪問でした〜。


今週末は近々出す予定の動画をぷちぷちぷちぷち作ってました。
自分の新曲は、来月リリースされると噂の新しいルカさん導入に向かって、そろそろ打ち込みを進めたいところ・・・ですが、まぁそうも思う通りにはいきません。テヘヘ。

新ルカさんの前に、ボーパラ関西も3月8日にありますしね。
ボーパラの告知はまた追って。

ほんじゃ〜。

2015年2月12日木曜日

練り物さま、新曲

Chiquewa御大が、新曲を投稿しました。

【ニコニコ動画】

泣き顔 by Chiquewa


【YouTube】

泣き顔 by Chiquewa

わたくし ぱんだっちは、ドラムスとボーカロイドのプログラミング、動画制作で参加しておりまっす。

ドラム、とてもいい感じに叩けたんですけど。
ボカロがね〜。ちょーーーっとね〜。
急いで打ち込んで急いで調整したもんで、そして最後の最後で胃腸炎のため手直しが間に合わず、なんだかあらあらあら・・・なところが数カ所ありまして。

V7Rでしたっけ何でしたっけ。
新しい巡音ルカさんがリリースされ、無事Sasakama Studioに実装された暁には、是非ともじっくりしっぽり、打ち込みやり直して差し上げたいと思っております。

動画も超手抜きですみません。
吐きそうになりながら作りました。

Chiquewa御大の次のアルバムに入るっぽいので、その時にはビシーーーッと内容一新して(?)お届け出来ると思います。

どうぞお楽しみに!!


さっっっっっむ。かった。

みなさま、おこんばん。

今日は少し暖かかったです。畿内。

先週のウィルス性胃腸炎からちょうど1週間。
お粥&お雑炊生活にも飽きたので、昨日から普通に炊いたお米を食べてます。

揚げ物や脂っこいお肉類は相変わらずダメなので、あっさりしたものばかり食べてます。
あとはゼリーとか、ヨーグルトとか。

ちょっと胃が小さくなってきた感じがしますね。

でも心配は要りません。
どうせ、すぐ元の大食いパンダに戻ります。
I'll be back やで。(あかん)

さて。

ここんとこかなり寒い日が続いて、夏生まれで寒さにめっぽう弱いChiquewa御大は瀕死です。
わたくしは真冬生まれなので、辛いけど、何となく、わりと、平気です。

昨日の朝にね、お庭の手水鉢に氷が張ってたんですのよ。
ほれ。

ぱっっっきーーーん
こんなにぱっきぱきに凍ったのって久しぶりな気がして、うれしくなったので、この情緒もヘッタクレもないプラスチック製の柄杓をそーーーっと外してみました。

めきめきめきって音がします
ぅぉぉぉぉぉ。氷と水面の間に空気が入った〜〜!!

じゃじゃーーん
 あらまぁ何と。きれいな形に抜けました。

あっはっは。

出勤前のお戯れでござった。いーじゃん。冬しかできない遊びだし。

そんなこんなで、明日からまた大阪行ってきまーす。


2015年2月5日木曜日

ばっきんばっきん

おこんばん。

寒おすな。

雪が降るぞ!!大変だ!!雪だぞ!!雪!!

ってテレビで騒いだわりには畿内はまったく降らず、夜になって雨が少し降り始めた程度です。
山沿いとかだと降ってるんですかね。

この2日間、寝込んでました。

2月3日は節分の日!
前日の仁和寺訪問の後、巻寿司をいただいたこともあり、3日の晩ご飯にはイワシが用意されてました。お母さんありがとう。

半年ほど前から、青魚の脂にあたるようになっていたぱんだっち。
それでも食べ易いように、半身におろしてカレー風味にしてくれてたんで、1切れだけ食べたんですね。
青魚独特の匂いを嗅いで、ちょ〜っとイヤだな〜とは思いつつ、その時は美味しくいただいたんです。


The 甘かっちゃん。

その日の夜中12時頃から、猛烈な目眩と吐き気、腹痛に見舞われまして。
アレルギーですか、そーですか、とアレルギー薬を飲んだんですが、まったく効かず。
自室でのたうち回ること数時間、 3時頃に見事に全部戻しました(お食事中の方があったらごめんなさい) 。

まぁ何十年ぶりでしょうね、戻したのなんて。
元々胃腸は丈夫な方なんで、小さい頃乗り物酔いした時以来じゃないでしょうか。

その後も全身超ド級に不快で眠れず、翌朝病院に連れて行ってもらい、診察の結果、

「アレルギーじゃなくて、ウィルス性の胃腸炎じゃないかな〜」

なんですと。これまた生まれて初めての病気です。
アレルギーで熱はあまり出ないのかしら。朝病院で測った時は37度だったんですが、抗生物質を点滴して帰って大人しく寝てたにも関わらず、夕方に38度まで上がったんですよね。

その後は寝てばかりのせいで背中がバッキンバッキンに痛いし、お腹は全体に硬くなってしまっててバッキンバッキンに痛いし・・・。

今日のお昼過ぎぐらいですかねー。やっとちょっと食べる気になってきて、お粥を少々食べました。

晩ご飯も少し食べました。お薬もちゃんと飲みました。
ほぼ復活したので、明日は大阪に行きます。

みなさまも、匂い嗅いで「あ〜・・・ちょっとこれダメかもな」と思ったら、食べないようにしてくださいね〜。エラい目に遭います。
嗚呼恐ろしい。

結局なんだったのか分かりませんけども、今後一切青魚は食べません。

敬具

早くお饅頭食べられるようになりますように。

2015年2月2日月曜日

突発・仁和寺

あろは。

超寒かったですね、今日も。
普段京都にいる時はほとんど仕事に行ってるので、家の中の温度の調整以外、あまり気候の影響を受けないんですが、月に1度の病院の日だけは、お外を歩き回ったりするので「あぁ、今京都はこんな気候なんですね」と実感する貴重な日になったりします。

そんなワケで、今日は数年振りに、真冬の京都の寒さを実感した1日になりました。

真言宗 御室派 仁和寺に行って参りました。

仁和2年(886年)光孝天皇ご発願、仁和4年(888年)宇多天皇建立のお寺です。
899年に宇多天皇が東寺で戒を受けられ、法皇の座に就いて以降、皇室出身者が代々住職を務められたそうで、高貴な人のおうち、「室」→ 天皇のおうち、「御室」ということで、この辺りも御室と呼ばれるようになったとか。

今や世界的な電気機器メーカー、omron(オムロン)の創業の地であることも、地元の人には有名な話です。

10〜20代の頃、何も知らずに御室、御室て言うてましたけど、そんな由来があると知ると地名を呼ぶにも重みが違います(単純)。

1119年に1度、そして1468年の応仁の乱で1度焼けてまして、建物はすべて江戸時代に再建されたのが、今あるものだそうです。
仏像や宝物の数々は、当時のものがちゃんと残っているので平安時代〜鎌倉時代辺りのものだそうです。


さてさて。

とりあえず、ぱんだ家から嵐電(らんでん・京福電鉄)の北野白梅町駅まで参りまして、そこからン十年ぶりの嵐電に乗車。
すんごいちっちゃいですけど、青い右端の駅から乗りました。

昔とほとんど変わってませんでした

レトロな内装の車両。ライトもいい感じ。

ワンマン、単線、1両編成。
電車は一律200円(小人100円)で、四条大宮から嵐山、嵐山から北野白梅町の2路線が帷子ノ辻(かたびらのつじ)という駅で乗り換える方式で繋がっています。
日本でいちばん古いお寺、広隆寺、蚕ノ社、仁和寺のお隣の龍安寺、他にも天龍寺、妙心寺等々、この路線の近辺だけでもどんだけ社寺仏閣があるんでしょう。
とてもじゃないけど1日2日では廻りきれません。

太秦映画村のポスターだ〜
 電車で一路、御室仁和寺へ。

駅を出ると、遠くに見える仁王門。
じゃじゃーーーん。
こちらが御室仁和寺の重文・仁王門。
先日訪れた、奈良 法隆寺とはまた違った趣の門でした。
こんにちは。

ぉょ。そーなんです。ほとんどのお寺で網が張られている事が多い仁王さん、法隆寺もそうでしたが、ここも網がないんですね。
お顔も木の肌も、よく見えました。

さすが皇室所縁、勅使門が雅。
仁王門をくぐってすぐ左に御殿があって、そちらは今日は諸事情でお邪魔しませんでした。
が。
御殿の入口のすぐ北側にある勅使門が素晴らしい建物でしたので、写真だけ撮らせていただきました。
どうですか、この透かし彫りの扉、欄間の美しい彫刻等々。

門全体はこんな感じ。美しい。

そして、仁王門から真っ直ぐその奥に、朱塗りの重文・中門。
中門までの両脇には松が。
 そして中門をくぐると遂に来ました。国宝・金堂。
横長なのでフレームに収まり切らない。

この金堂、京都御所の紫宸殿を移築して、あちこち弄って桧皮葺きの屋根を瓦葺きに替えたものなんだそうです。
どうりで造りがえらく雅・・・。 王朝建築の特徴的窓、蔀戸(しとみ・ど)、その縁の金の装飾、垂木の端々の装飾等々、なるほど、紫宸殿です。
江戸時代に建て替えた時に丁度京都御所も建て替えをしてたらしく、色々と建物を下賜されたんだとか。

なんてったって御室ですしね。


上の写真、真ん中のちょっと出っ張った屋根の左右に、 黄石公(こうせきこう)という仙人さまの像があります。この亀は三千〜四千年に1度、息継ぎをしに水面に顔出すと言われていて、黄石公はその亀を何度も見たことがある長寿の仙人なんだそうです。
仁和寺が末永く続きますように、との願いが込められているのだそうです。

金堂の中は非公開なのですが、今は経蔵とともに6年ぶりの特別公開中。
でも明日の節分会の準備中で、扉が半分しか開けられておらず、ご本尊の阿弥陀三尊像を少し拝むことができただけでした。残念。でもでも、ありがたや。
ちなみに本物(?)の阿弥陀三尊像は、霊宝館に納められているそうです。
でも霊宝館があまり開いてない(年に数回だそうです)。残念。


分かり難いけど、垂木が三重でした。法隆寺は一重。





そして、本日のメインイベント。重文・経蔵。こちらも6年ぶりの特別公開中。
この窓は禅宗様式。驚き。
普段は見る事ができない、八面体の回転式書架(輪蔵)が間近に。
徳川家康の側近だった僧、天海が完成させた『一切経』が収められているそうです。
全部で六百何十個の筈が、実は正面の奥に三十何個箱があって、そこにも大切な経典が入ってるから全部で700を越えるんだとか仰ってましたね。
この輪蔵を一回廻せば、一切経を全て読み上げたのと同じ功徳があるとされているそうです。

もしご興味ありましたら是非とも「仁和寺 経蔵」で画像検索してみてください。
640個(だと思う)の箱すべてに、朱色の筆で漢字が書かれてあるんですね。
この漢字、中国は梁の時代に、武帝が周興嗣に作らせた、文字習得のための教材、「千字文」を用いてあり、ひとつとして同じ漢字が使われていないんだそうです。

すごいね。

経蔵の中には、西向き(金堂の方を向いてる)に、釈迦三尊像(獅子に座った文殊菩薩さまもいたYO!)と、アナンダさまと他2体の像が。触れられるほど近くにあったんですが、もちろん触ってはいけないので我慢ガマン。
他にも普段非公開ということもあって、壁画がとても色鮮やかに残っていました。

仁和寺は真言宗のお寺ですが、窓の形や瓦を敷き詰めた床など、この経蔵だけは禅宗のしつらえ。しっとり、厳かな佇まいでした。

石段の下から、経蔵。
 で、最後は五重塔。
どどーーーん。
 他の寺院の五重塔は、上の段に向かって少しずつ屋根のサイズが小さくなってるんですが、ここのはほぼ変わらないんですって。
ぃゃぁ、多宝塔はいいね。素晴らしい。

今回、御影堂が工事中だったのと、鐘楼を見る時間がなかったので大変残念でした。
御殿も見られなかったし、他にも色々。。。
あと、めっっっっっっちゃ寒かった。雪が降っててね。すんごい寒かったのよ。
 
春には有名な御室桜も咲きます。

また来ます!今度はゆっくりじっくり見るぞ〜!!

最後にまたレトロな嵐電に乗って。ばいばい。




録り初め

おっっはよぅごじゃりまする。

めっっっちゃ眠いです。頭痛いもん。
今日は7時半起きだと言うのに、昨日寝たのが2時半でしょ。

そらアカンわ。

そんなこんなで、昨日の晩大阪のSasakama Studio本部から京都支部へ帰って参りました。

先週金曜日は、2015年初のドラムレコーディング でした。

ぃゃぁ、叩いた叩いた。
実に4ヶ月ぶりぐらい(たぶん。もしかしたらもうちょっと?)だったので、ストレートのビートを叩くのがえらい苦手になってて苦労しました。
一体何テイク録ったんでしょう・・・(ボンヤリ)

まぁ何とか形になったので、納めてまいりましたけれども。

Chiquewa御大の曲を2曲録ったんですが、後で録った方のR&B調ポップスの方は16分のスウィングというわたしの大好物でしたので、すんなりアッサリご機嫌な出来映えでございます。

Chiquewa御大から提出された簡易譜面には「16のハネハネ」と書かれてました。

ハネハネ、ねぇ。

っちゅーことで、このハネハネの方は、そう遠くない未来に動画になって投稿されるかも知れません。
ってゆーのも、ドラムを録った次の日に、同曲のボカロの打ち込みをしたんですねー。

V2のルカさんに歌っていただくのもコレが最後かも知れませんね。
V7でしたっけ。何でしたっけ。アレが出るのがちょっと押してるそうなので、分かりませんけれども。

かな〜〜〜り素敵な出来になってまいりましたので、お楽しみに!!

ハイハット用のマイク欲しい。